劣等感。
私は常に人と比べて生活してきた。
学校の成績、ピアノ、体重、家庭環境、髪の長さ…
恐らく他の人と同じようなことを気にしているのだけれど、私にはその一つ一つがとても重くのしかかっていた。
ここでは学校の成績について話をしてみようと思う。
小学校の時、私は学年で2番目に頭が良かった。けれども、私よりも頭が良かった、たった一人の子は、私とは比べ物にならないほどだった。まず頭のキレが違う。科学オリンピックのようなもので優勝したことがあるような人だった。同じクラスになった時には、その人について色々知りたくて、時々話しかけたりしていた。
けれども、私は馬鹿にされた。当たり前なのだけれど。
「貴方がどれだけ努力しても俺には及ばないよw」
紛れもない事実だった。私にはそんな才能がない。それほど努力していない。全てにおいて劣っていた。絶望するくらい。
そして、中学生、高校生になり、環境が変わった私は、自分より少しだけ優れている子、そしてちょっとした努力の差で自分は落ちこぼれているのだということに気づかされていった。
今でも私にはその言葉が重くのしかかっている。上には上がいること。私は「勉強が出来る方」なだけで、決して「天才」にはなれないこと_______
今でもこの現実が受け入れられなくて、どこかで1番になれるのではないか、と色々考えている。努力もしていないのに。ずっとずっと、周りに嫉妬している。他の形で注目を浴びようとご飯を一週間抜いてみたり、過酷なダイエットで倒れたりして。
話は変わるが、先日、親に通販サイトでパソコンを注文してもらった。三年前にもパソコンを持っていたのだけれど、いつの間にか部屋から消えていたから。(私がパソコンをウィルスに感染させたのが原因)
パソコンが届いたらプログラミングをしたいな、そう思いながら、Twitterで「競プロ(競技プログラミングの略)」と検索をかけてみた。いわゆる勉強垢で競プロのツイートをしている人がいたので、色々とフォロー欄を辿ってみた。
すると、見覚えのある名前と数字のアカウントがあった。小学校の時学年一位だった人。
…はじめてそれに気づいた時、あ、見つけた、見てしまった、と思った。凄く気になって、ツイートを辿ってみた。
その人は更に凄い人になっていた。科学オリンピックで入賞、プログラミングも極めている。そして勉強も出来て。住む世界が、次元が違う、、、
一気に過去の記憶が蘇った。私は今でもその人の言葉が忘れられなくてこんなに苦しんでいるのに、その人は人生を精一杯楽しんでいるような気がした。
それから色々な事を考えた。私も当時は色々言い返したりしていて、ずっとその罪悪感に駆られていたけれど、もう、過去から離れて、今を生きてもいいのかな、と感じるようになった。
中学の頃から劣等感を感じ続けたこと、そして、相手が今を楽しそうに生きていること。これで、私が勝手に感じていた罪悪感は、嫉妬は、もう忘れてもいいのではないか。
これからは、周りを気にして変に嫉妬したり劣等感を感じたりぜず、自信を持って、全力で努力しても大丈夫な気がした。
駄目だったら、また何かしらの形で諭されるだろう。
はやく認めて貰えるように、精一杯の努力をしなきゃ。